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拗らせたおっさんになって読む「山月記」は大変エモい、という話

      2017/04/29

思ったこと

sangetsu

突然ですが、「山月記」って短編がありますよね。中島敦の作で、中学―高校の教科書で採用されていることも多いため、ご存知の方も多いのではないかと思います。

ぼくもその例に漏れず高校生のころ、現代文の授業で習いました。
当時、基本的に余り授業に熱心でなかったのか、基本的に現代文の時間は睡眠タイムとしていてあまり授業で何やっていたか記憶にないんですが、この「山月記」だけはどこか心にひっかかるものがあり何となく覚えていました。

翻って高校生だったころから随分と経った現在。きっかけはなんだったか、たまたま最近「山月記」を青空文庫で読んだんです。

「山月記」青空文庫

そうしたら、なんだか当時全然読解できていなかった、「創作とは」「表現とは」みたいな主題がめちゃくちゃに刺さりまして。
本日は少し変化球ですが、場末のインターネットで細々活動している身として、「山月記」のエモさについて淡々と話をしていきたいなぁ、と思います。

適当なあらすじ

唐代。主人公の李徴は地元で名だたる秀才で科挙を合格、官吏となったが、詩で後世に名を残したいと考え職を辞して詩作に没頭した。しかし詩の道で大成することなく挫折、困窮し、妻子との生活のために仕方なく下級官吏の職を得る。そのことは彼の強い自尊心を傷つけ、あるときより姿をくらませた。

翌年、官吏の袁さん(変換できない)は勅命の最中、草地にて一匹の大虎と遭遇する。あわや襲い掛かろうというそのとき、虎は動きを止め茂みに隠れた。虎はおもむろに茂みの中から人間の声で「あぶなかった」とつぶやく。なんとその虎はかつての旧友李徴だというのだ。そして李徴は、自身が虎になった経緯、自身の詩作について語り始める…。

何となく思い出せましたでしょうか…?

「臆病な自尊心」と、「尊大な羞恥心」

物語の中で、李徴は自身が詩の道で大成せず畜生に成り果てた理由について言及します。それが、有名な?「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」です。ここ、テストに出るところですよ。

曰く、李徴は自身の詩作の才能の限界を突きつけられることを恐れ、師を仰いだり、あるいは詩人仲間同士で切磋琢磨することをしませんでした。それは自身の「尊大な羞恥心」ゆえです。

また一方で、自身の中の詩作の才能を半ば信じているが故に、「普通の人」として仕事に家庭に励むこともしなかったのです。これは「臆病な自尊心」のためでしょう。

その結果、彼は自意識という獣を肥大化させ、やがてその精神の通りの見た目になってしまったのだと分析してみせます。

「創作で認められたい」「でも叩かれるのが怖い」その背反する思いを抱えて停滞し、そしていつの間にやら月日が過ぎ去ってしまう。どうも色々拗らせたままおぢさんになってしまったらしい現在のぼくのような人にとって、大変に破壊力を増して迫ってくるものがあるんじゃないでしょうか。エモい。

拗らせたおっさんの生きる指針として

少し個人的なことを書きます。
ブログを書いたり、twitterはじめたり、nanaやってみたりで、なんだかんだ半年以上が経ちました。
今時、なんら珍しくないこれらの活動ですが、ぼく個人としては、自身の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のため、ずっと二の足を踏んでいたことでもありました。アーティストのライブに行っては心のどこかで「自分の方が上手い」とか思いつつ(そんなわけないのに)、一方で自身はどこで公開するでもなく、カラオケボックスという山野に一人篭って人語ならざるハイGの叫び声を上げる日々。ぼくの中にもまた、「虎」がじわじわと育まれていたのです。

ネットでの活動を通じて、自分よりもずっとずっと歌がうまいボーカリストの方々や、本当に知識経験が豊かで志の高いボイトレ界隈の方々と交流させていただくことも少しづつ増えました。自身の無知さ、歌唱力のショボさに日々深く対面するとともに、肥え太った自尊心の脂肪が少しずつ融解していくのを感じています。

今後も、ブログをはじめ、歌周りでも可能なことには色々とトライしていければと思います。山野にこもりがちなぼくの中の「虎」に、せめて抵抗するために。

なんか、所信表明的になりましたが笑
「山月記」、いま一度読んでみると味わい深いものがあると思いますよ。


山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

ではまた。